火山とともに生きる人々

1.遺跡から見える最初の人々

磐梯山周辺には、後期旧石器時代前半期(約3~2.5万年前)の笹山原遺跡群や、縄文時代中期(約5000年前)の法正尻遺跡(エリアI 58)があります。

笹山原遺跡は会津最古の遺跡で、法正尻遺跡は青森県の三内丸山遺跡クラスの巨大居住跡で多くの出土品があります。

これらの遺跡は、ともに4万年前の磐梯山の岩なだれ堆積物の分布の中にあり、岩なだれで誕生した猪苗代湖もすぐ近くです。流れ山地形と猪苗代湖が、狩猟採集生活の格好の場を提供していたことがうかがえます。磐梯山の火山活動が会津人を誕生させたとも言えそうです。

2.霊峰磐梯山と人々の信仰

磐梯山は、古来より神々が宿る神聖な山として人々に崇められ、西暦270年頃には磐梯明神が山頂にまつられるなど、山岳信仰の対象とされてきました。また美しく天にそびえる姿は「天にかかる岩(磐)の梯子(はしご)」に見立てられ、古名では「磐椅山(いわはしやま)」と呼ばれ、磐椅神社も建立されました。

また、神道の奥義を極めた会津初代藩主の保科正之公は、会津の繁栄と永続を願って、会津を象徴する磐梯山の麓を安住の地とし自らの墓と神社を建立するよう遺言したことで創建されたのが土津神社(エリアH51)です。

会津は、奈良・京都・鎌倉・平泉と共に仏教文化が花開いた日本の仏都に数えられています。その礎を築いた人物が今から1200年前に慧日寺を開いた徳一です。奈良で法相宗を学び最澄と仏教論争を繰り広げた高僧で、理想の仏法を求めて奈良を離れて東国へと至り、霊峰磐梯山を仰ぎ会津盆地を眼下に望む磐梯町に後に東日本きっての大寺院となる慧日寺を開いたのです。

磐椅神社磐椅神社(エリアH49)
慧日寺慧日寺(エリアF38)

3.近代~現代の磐梯山周辺と人々

会津で「戦争」と言うと第二次世界大戦ではなく明治維新の「戊辰戦争」のこと!(驚きですか?)さらにさかのぼる戦国時代の「摺上原の戦い」(エリアG46)も、ともに磐梯山周辺が戦場となった事変でした。この他の磐梯山周辺の大事変が、明治の磐梯山の大噴火だったのです。そして昭和25年の磐梯朝日国立公園の指定がこの地域の歴史の大きな転換点となり、人々の生活も大きく変わり、現代へとつながっています。今後、磐梯山ジオパークをさらに進展させることが、この地をより明るい未来へと導いてくれることでしょう。

◆コラム:会津磐梯山は、宝の山よ♪

さあ、あなたも「小原庄助(おはらしょうすけ)さん」です。磐梯山ジオパークの火山の恵み、大地の恵みを思う存分楽しんでください!

小原庄助さん