磐梯山北側の植生(火口底と火口壁を中心に)

乾性遷移初期の荒原・草原・低木林が広がり、明治の噴火岩屑流上の植生の回復が2次泥流上で観察できる。

火口底の植生について、北側2割と火口壁は、1888(明治21)年の噴火当時からの地上に発達した植生だが、残りの火口底の大部分は1954(昭和29)年の火口壁崩壊により生じた裸地から発達した植生である。 明治の噴火から百数十年、火口壁崩壊から60数年が経過した時間経過により、2つの発達段階が異なる植生が、隣り合って存在している(図1)。「噴火口の原生林」は火口壁を除く南側(磐梯山側)の8割程度の場所の植生に使える言葉である。

噴火口底の現在植生図(図1)噴火口底の現在植生図

①銅沼の東側の林

銅沼の展望場所から湖面をはさんで東に見える林(下記写真)は、1954年の火口壁崩壊の後に発達した林で、アカマツ・ダケカンバ疎林(※1)となっている。高木にアカマツ、ダケカンバ、ヤシャブシがまばらにあり、低木層にはススキ、ノリウツギ、オオイタドリ、ハンゴンソウ、ハナヒリノキ、ナナカマド、ヨツバヒヨドリ等の丈の高い草原を形成する種が多く、ようやく陽樹林(※2)に移行した林であることが判る。草本層にはオシダやツタウルシ、マルバフユイチゴがあり、火口壁崩壊による土砂が薄く堆積した場所と推定される。

※1 疎林・・・樹木の枝・葉の密度が薄い森林のことを指す。
※2 陽樹林・・・生育に最低限必要な光合成量が比較的多いタイプの樹木を陽樹と言い、その陽樹からなる森林を指す。

②火口壁下の岩塊地

銅沼の右手奥に広がる斜面をおおう、大型の岩が堆積した場所が見える。この岩は直径1~2mの風化していない安山岩からなり、岩の隙間にわずかにミヤマハンノキなどが生える。 この岩が堆積した場所は幅300m長さ500m程の広がりがあり、ミヤマホツヅジ、マルバシモツケ、ハナヒリノキ、ミネヤナギ、ノリウツギなど亜高山性の低木が岩の間にわずかに見られる。周囲からダケカンバやウダイカンバなどの陽樹の侵入がある。

③火口底中心部のアカマツ疎林

スキー場から火口底を通る磐梯山への登山道付近には、アカマツ疎林が広がる。この付近は1954年の火口壁崩壊の際、大量の土砂が堆積した場所で、数本の尾根場の高まりが波を打つように東西方向に伸びる。このアカマツ疎林では、高木としてまばらにアカマツがあり、低木はほとんど無くウダイカンバやハナヒリノキがわずかに見られ、草本層はシラタマノキが密生している。しかし、谷状の窪地にはススキを伴いウダイカンバやヤシャブシ・ハナヒリノキが侵入しており、やがてはアカマツ混じりの陽樹林に発達すると推定される。シラタマノキが密生する草本層に生育が遅い高さ30cm樹齢15年ほどのアカマツ低木が点々と混じり、強い酸性土壌が生育に影響していると思われる。また、根に共生する菌類の存在が関係すると推定される。

④火口壁に見られる林

櫛ケ峰直下の火口壁下部にはカラマツ林があり、銅沼南側の火口壁下部にはアカマツ林がある。これらの火口壁は1954年の崩壊では影響を受けず、1888年の水蒸気爆発当時の地形で、生育するカラマツ、アカマツとも植林樹林とその実生であろう。

⑤火口底中心部のススキ草原

火口壁が絶えず崩壊して土砂が溜まる中心部は、広い平原でススキ草原やコメススキなどがわずかに生える荒原となっている。ここにはアカマツやウダイカンバ、カラマツ、ヒメヤシャブシ等の低木がまばらに侵入している。新たな土石流で埋まらなければ、陽樹林に発達するであろう。生育の良いカラマツの周りにはコツブタケの発生があり、菌類との共生が生育を左右すると推定される。

⑥噴火口底の北側及び火口底から桧原湖にかけての北斜面

現在アカマツ、ウダイカンバ林が発達している。この林の大部分は1902(明治35)年頃から始まった、遠藤現夢らによるアカマツ植林が土台となり回復した林である。ススキ草原が広がる北斜面一帯に植樹されたアカマツは10年ほどで種子散布が可能となり、その実生がアカマツ林の拡大に寄与したと推定される。

裏磐梯スキー場東側から磐梯山を望む