摺上原(すりあげはら)の戦いで敗走する葦名勢の中で、葦名の家臣・佐瀬常雄は踏みとどまって奮戦したが痛手を負い、ついには討死した。その養父・佐瀬種常も、同じく伊達勢と戦い討死、少し遅れて津川から駆け付けた金上盛備(もりはる)も伊達勢に攻め込んで討ち死にした。主君のために忠誠を尽くした三人の武士を後世に伝えるため、会津8代藩主・松平容敬(かたたか)は藩の儒学者・高津泰(たい)に命じて撰文(せんぶん)、437文字全文を唐の名筆家で熱血忠義の人物である願真卿(がんしんけい)の書体を集め刻み1850(嘉永3)年建立した。
この碑は、旧二本松街道側に建立されており、近辺には往時を偲ぶ松の巨木が並木となっている。
三忠碑と碑文